PTコピーライターの食卓

二子玉川在住、個人事業主のテーブルトーク

元上司からの年賀状に感動 「出さない主義」を少々反省

令和初の年賀状。自分を育ててくれた元上司からの温かいメッセージに感動し、出さない主義を少し悔い改めました。

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以前は年賀状を毎年150枚ぐらいを出していましたが、仕事が替わり年末年始に時間が取れなくなり、ここ数年は「くれた人には出す」ことにしています。不遜なヤツだと思う人は次第に出してくれなくなるので、そういうつき合いは減りこちらにとっても好都合だと思っています。

しかし、出さない主義だとわかっているのに、毎年必ず元旦に届くよう賀状をくれる人がいます。新聞記者時代の上司です。平成の初期にある新聞社に記者として採用された時のデスクで、評論家の竹村健一氏(故人)に似た強面タイプ。提出した原稿について「何が言いたいのかわからない」とよく怒られました。

今と違って、グーグルやヤフーなどが影も形もない時代でしたから、とにかくよく調べ取材しました。「おい、原稿まだか」と何度もせつかれるので必死に書き、そしてようやく提出するのです。しかし、「使えねえよ!こんなの」と言ってプリントアウトした原稿をそのままゴミ箱に捨てられまうんですね。

こちらも黙っていません。「ちゃんと読んでないんじゃないですか!」と、恐怖に震えながらも食い下がる。するとギロッとこちらをにらみ、「大体な」(竹村健一そのもの)と言って説教が始まります。こちらも負けじと言い返す。上司も部下も、先輩も後輩も、年上も年下も関係ありません。

その昔、「池中玄太80キロ」というテレビドラマがありました。通信社の写真部で上司の長門裕之がカメラマンで部下の西田敏行と仕事のことでよく怒鳴り合い、時には取っ組み合いになる、というシーンが話題になりました。今ならハラスメントですね。

しかし、当時はドラマでも現実でも、怒鳴り合ったり取っ組み合ったりしながらも、信頼関係が強かったのです。言い合いなった日の夜は、帰りにビールをご馳走になったりして、後腐れがありません。実に大らかでのどかな時代でした。

僕はその後、ジャーナリストからアナリストの道に進み、今でも執筆活動を続けています。そんな自分に、元上司は年賀状に例の竹村健一口調のような文体でこう書いてくれました。「時々ネットで名前を見かける。活躍しているようだな。頑張れ」と。2020年は、喜ばせるような報告をしたいと思います。

(おわり)